実績 – 株式会社カラフルカンパニー ~もう1つのストーリー~

KCCの限界はここじゃない。

危機的な経営状況から、半年足らずで主力事業である生活情報誌の過去最高売上を2度も更新する会社に変貌を遂げた株式会社カラフルカンパニー。

このカラフルカンパニー復活劇の中心的役割を担ったのが、中井社長が任命した13人の社内活性化プロジェクトメンバーだった。
彼らの目にこのプロジェクトはどのように映っていたのだろうか。

プロジェクトメンバーの1人、丸山雄大さんにお話を伺った。

人には求めるのに自分は動かない。そんな関係。

丸山雄大さん

――社内活性化プロジェクトが始まる以前、カラフルカンパニーはどのような雰囲気でしたか?

基本的に部署間には壁があったように思います。私は制作領域を担当する部署にいたんですが、制作に必要な情報が営業から入ってくるのが遅くていつもイライラしていました。でもそれを解決する方法が見つけられなくて(営業がはっきり指示を出してくれないから、うまくいかないんだ)と不満を抱いていました。

一方、営業は営業で、自分たちの思ったように制作が動いてくれないことに対しいらだちを募らせていたようです。今思えば、きっと営業は営業の、制作は制作の言い分や考えがあったと思うんですけど、そういう相手の立場を思いやったり、考えに耳を傾けたりといったコミュニケーションが当時の僕たちにはできていませんでした。

相手に対して「こうしてほしい」「こうでないと困る」という要望はするけれども、相手の要望を受け入れることはしないし、ましてや事前にトラブルを回避したり仕事を改善したりするために自分から率先して動くこともない。当時の制作と営業はそんな関係でした。

社内活性の推進役が本当に自分にできるだろうか…。募る不安。

――社内活性化プロジェクトのことを丸山さんが知ったのはいつですか?

プロジェクトが始まる2カ月ぐらい前の2012年4月です。社長の中井から1通のメールが来ました。そこには「カラフルカンパニーを人をどんどん成長させていけるような会社にしたい。そのために社内活性化プロジェクトを発足させる。あなたはそのプロジェクトメンバーに選ばれました」といったことが書かれていました。

――それを見た時はどう思いましたか?

最初はとにかく驚きました。(えっ!? 社内活性化プロジェクトって何のこと?)という感じで。
でも中井からのメールの本文に研修の日程も書かれていたので、(あ、もう進んでいることなんだな)とわかって、プロジェクトに参加すること自体は意外とすんなり受け止めることができました。
ただ、プロジェクトメンバーになると自分が集合研修で学んだことを、部署に戻って周囲の人に伝えたり、他の人たちを巻き込みながら活性化に向けた社内活動を進めていかなければいけないので、(そんなことが本当に自分にできるんだろうか…)という不安はありましたね。

――その不安は払拭されましたか?

1回目の集合研修の最後に、その日を振り返って感想を言い合うセッションがあったんですが、その時には不安な気持ちがかなり払拭されていたんじゃないかと思います。
その日、場活師(講師)の泉さんに「会社の活性化のために自分はどんな役割を担えると思うか?」という質問をされたんですが、僕は具体的に自分が何ができるのかが思い浮かばなかったんです。
ただ「体現すること」ならできるんじゃないかと思って、「僕自身が変われば、集合研修で得た学びが一番わかりやすい形で同じ部署のみんなに伝わると思う。
今の僕は人前で話すことがすごく苦手だけど、研修の内容をしっかりと人に伝えられるようになろうと思う」ということを、プロジェクトメンバーの前で言いました。

会社や仲間に対する意識が変わった集合研修。

丸山雄大さん

――プロジェクトメンバー向けの集合研修で、丸山さんにとって特に印象に残っているのはどんな内容ですか?

2つあります。
1つめは自分の人生を振り返ってそれをペアを組んでいる相手の人とシェアするセッションです。自分の歴史を話している時に(振り返ると僕の人生もいろいろあったな。この中のどの出来事が欠けても、今、僕はここにいないんだなぁ)ということに気づいたんですね。そうしたらものすごく熱いものがこみ上げてきて、思わず涙があふれてしまいました。ペアを組んでいる相手の方にもそれが伝わったみたいで、同じように涙を流しながら僕の話を聞いたり、自分のことを話したりしてくれました。
それまで自分の生い立ちを会社の人に話すことなんてなかったんですけれども、それをオープンにしたことですごく気持ちがすっきりしました。きっと心のフタみたいなものが取れたんだと思います。
このセッション以降、プロジェクトメンバーや自分の周囲の人に対していろいろ共感できる点が増えましたし、今までよりも相手の立場や気持ちに近いところで話したり考えたりできるようになった気がします。

Familiar

それから、もう1つ印象に残っているのは、泉さんのファシリテーションでカラフルカンパニーの存在意義を語り合った時のことです。
「カラフルカンパニーって本当に必要な会社なの?」「唯一無二の存在って言えるのかな」みたいな、ちょっと意地悪な質問をしてくる泉さんに対して、プロジェクトメンバーのうちの何人かが「いえ、カラフルカンパニーはこういう価値を提供してるから必要なんです」と食ってかかっていきました。それらは泉さんによって次々と論破されてしまい僕らは悔しい思いをするんですけれども、その時にみんなが必死になって言葉にしていたカラフルカンパニーの事業価値や存在意義は、決して格好つけたり取り繕って言っているものではなく、本気でそう思っているからこそ出てきた言葉なんだと思うんです。

普段、どちらかというと(うちの会社なんて…)と卑下することが多い社風なんですが、いざ語り合ってみるとプロジェクトメンバーはみんな会社に強い愛着をもっていて、事業を良くしたくて、そのために自分も変わろうと思っているんだな、ということがよくわかったんです。
その時に(あぁ、うちの会社ってすごくいい会社なんだな)とつくづく思いました。プロジェクトが始まる前の僕なら「お前、何を寒いこと言ってるんだ」と言うかもしれませんけど(笑)、でもあの時は本気でそう思いましたし、今もそう思っています。

立ちはだかる温度差。

丸山雄大さん

――丸山さんが集合研修で得た学びや気づきは、集合研修に参加していない他の社員の方にスムーズに伝わりましたか?

そこが難しいところでした。プロジェクトメンバーと顔を合わせると常に話題になったのが、研修を受けた僕たちプロジェクトメンバーと、研修を受けていない人たちの「温度差」でした。実際、上司からも研修に参加した僕たちだけが熱くなっていて、他のみんなは気持ちがついてきていないんじゃないか、といったことを何度か指摘されました。
僕の場合、研修でいただいたレジュメをもとに自分なりに資料を新しく作って、同じ部署の人を対象にプレゼンしたりグループワークを実施したりして研修の内容を伝えるようにしていたので、ある程度伝わったとは思っているんですが、ひょっとしたら中には「なんだこいつ、えらそうに」と思っている人がいたのかもしれません。
自分の学びや良いと思ったことを押し付けることが良いわけでもないし、かといって相手がどう受け止めたかは相手次第と割り切って、ほったらかしにしておくのも良いことではない。自分が研修で得たものをみんなにそのまま共有するのは、非常に難しいことなんだと痛感しました。

KCCが1つになった大祭り号と超祭り号。

金沢情報

――プロジェクトメンバーとそうでない人たちとの間にあった溝は、その後埋まっていったのでしょうか?

すぐにというわけではないですが、時間の経過とともに埋まっていったように思います。
集合研修が終わった後、会社を活性化するためにいろいろな活動を社内ですすめていきました。例えば、小さなありがとうを集める「ありがとうプロジェクト」を立ち上げたり、伝達事項だけで終わっていた朝礼をみんなで話し合える場に変えたり、各種部活動を発足させたり、創業以来初めての社員総会に向けて準備をしたり…と、小さいものから大きいものまでそれはもうたくさんありました。

そういったさまざまな取り組みを行っていく中で、おそらくプロジェクトメンバー以外の人たちの意識も徐々に変わっていったんじゃないかと思います。

――そうした意識の変化は仕事にも良い影響を与えましたか?

そうですね。プロジェクト開始から3カ月ほどたった頃、これまでの最高売上・ページ数を超える生活情報誌を作ろうということで、『金沢情報(9月19日号)』を「大祭り号」と名付けて営業・制作に取り組み、目標を達成しました。また、その半年後にはさらに高い目標を掲げた「超祭り号」にチャレンジしました。あの大祭り号や超祭り号を作っていた時はものすごく社内に一体感がありましたね。

制作と営業が並行して立つ2本の木だとすると、それまでのカラフルカンパニーは2本の木の間に不要な枝がたくさん伸びていて、お互いが争って場所取りをしているような感じでした。そして向うから伸びてきた枝をよけるために、本来まっすぐ伸びなきゃいけない幹までが斜めになったりしていたんです。
でも、大祭り号や超祭り号を作った時は、そういう余分な枝はきれいに切り落とされて、営業も制作も向かうべき方向に向かって真っすぐ伸びる組織になっていたと思います。

あの時の社内の一体感は、僕らプロジェクトメンバーが引き出した結果かと言われると、正直ちょっとわからないんですけれども、社内を活性化させるためのさまざまな取り組みによって少しずつ会社の温度や空気が変わっていって、そこに大祭り号や超祭り号という目標が掲げられたので、みんながその流れに乗れたんじゃないかなと思います。
逆に言えば、もし活性化プロジェクトによる新しい活動や試みが事前になければ、いくら社長の中井に「大祭り号やろうぜ!」と言われても、みんな(やりたくない)(そんなの、できるわけないじゃないか)としか思わなかったでしょうし、当然、結果も伴わなかったと思います。

KCCの限界はここじゃない。

丸山雄大さん

――活性化プロジェクトを通じて、丸山さん自身にはどんな変化がありましたか?

先ほどもお話したように僕は人前で話すのがとても苦手だったんですが、プロジェクトに参加してからは社内の大きなイベントで司会を任されることが多くなりました。

以前は、人前に立つとみんなの目が自分に迫ってくるような感じがしてとてもいやな気がしたんです。それが活性化プロジェクトで研修をうけて、自分から積極的に人と関わるようになったおかげで、人前に立って話していてもあのいやな感覚はなく、一人ひとりの顔を見て「いつもどおりの、僕の仲間だ」と思えるようになりました。たぶん、自分のことをみんなが間違いなく理解してくれていると思えるようになったからなんだと思います。

――仕事の面ではどんな変化がありましたか?

僕は人にどう思われるのかが気になるわりに、自分の意見を通したがる悪い癖があったんですが、その部分は少し緩和されたような気がします。
例えば、会議などで自分の意見を一方的に発言してそれで終わり、ということが以前は時々あったんですが、プロジェクトに参加してからは(そういうやり方は何の意味もないな)と気づきました。自分の考えを相手に押しつけるのではなく、考えや思いを人と共有したり共感したりしながら、その時に生まれる新しいものの方がよっぽど将来性があるし、建設的だし、楽しいことなんじゃないかと思うようになりました。

――活性化プロジェクトを通じて、カラフルカンパニー社内はどのように変わりましたか?

以前のカラフルカンパニーには、自分たちが発行している生活情報誌の売上やページ数について「これが限界」というラインがなんとなくありました。でも大祭り号や超祭り号の時に社内ギネスに挑戦し、達成したことで、みんな1つ大きな壁を乗り越えられたんじゃないかと思います。
僕たちの限界はここじゃない。まだまだ伸びていけるんだ。
少なくとも意識のうえでは、みんなそう思うようになったと思います。