実績 – 株式会社カラフルカンパニー

場活には現有戦力の価値を何倍にも高める力がある。

リーマン後2年間で凄まじい赤字を出した株式会社カラフルカンパニー。コストダウンに次ぐコストダウンで3年連続の赤字は免れたものの、事業の根本的な価値は大きく棄損され、売上は5年連続減少。いわば完全な縮小均衡に陥っている状態だった。

そんな厳しい経営状況のカラフルカンパニーを立て直すべく、親会社であるクイックからやってきた中井義貴社長は、1年間の試行錯誤の後、場活堂の活性化プログラムを導入することを決断する。

その結果、開始から3カ月もたたないうちに、カラフルカンパニーは主力事業である生活情報誌『金沢情報』で、創刊以来のギネス記録となる高い売上を達成。さらにその半年後には、その社内ギネスをも上回る記録的な売上を達成する。

危機的な状況に陥っていたカラフルカンパニーが約1年間の活性化プロジェクトを通じて、いかにして社内に活気を生み出し、健全な組織風土をはぐくみ、業績向上へと結びつけていったのか、その軌跡を追った。

生活情報誌の発行が主力事業

――カラフルカンパニーという会社について教えてください。

メインの事業は、金沢・富山・新潟で無料の宅配型生活情報誌の発行を行っています。クライアントから広告掲載料をいただいているコンテンツは求人情報・住宅情報・タウン情報の3つです。
現在「金沢情報」は23万部、「富山情報」は14万部、「新潟情報」は19万2,000部をそれぞれ発行しているので、毎週計56万2,000部、月間224万部のフリーペーパーを出し続けています。
金沢市内における「金沢情報」の配布率は85%ぐらいです。新聞で66%ぐらいなので、金沢市内の各家庭へのリーチ率で言えばNo.1のメディアです。

託されたミッションは新たな打ち手の模索と事業の立て直し

中井義貴社長

――どのような経緯で中井さんはカラフルカンパニーの社長に就任されたのでしょうか?

カラフルカンパニーの生活情報誌は高いリーチ率を誇り、雑誌としてシェアもあるのですが、この事業の次なる成長につながっていくような新しい打ち手が見えておらず、閉塞感があったようです。
そうした背景から「中井にやらせたら、なんか面白いことを考えるだろう」とカラフルカンパニーの現会長である和納は考えたようで、2010年の夏頃「社長をやってみないか」という打診がありました。

――当時のカラフルカンパニーはどのような経営状況でしたか?

非常に厳しい状況でした。リーマンショック後の2年間でカラフルカンパニーは凄まじい赤字を出していました。私が社長に就任する直前の2011年3月末には一応黒字にはなっていましたが、それはあらゆる部分のコストダウンを行った結果出した利益でした。
しかしこのコストダウンによって、カラフルカンパニーの事業の根幹にある価値が大きく棄損されてしまいました。具体的な例を挙げましょう。地域に密着した生活情報誌の冒頭には、たいていそのシーズンに合わせた読み物コンテンツ(編集記事)が掲載されています。宅配型のフリーペーパーですと、20%程度はこうした編集記事が入ってないと読者価値がなくなってしまうと一般的に言われています。48ページの情報誌であれば、10ページ程度はこうした編集記事がないとダメということですね。ところがこの編集記事は作るのにとてもお金がかかるんです。それで、一番厳しくコストダウンを推し進めていた頃は、この編集記事が48ページ中3ページにまで減ってしまっていました。
そんなわけなので、P/L上は一応黒字でしたが、売上は5年連続で減少していて、完全な縮小均衡に陥っていました。

「私はこれをやればいいんですよね」と面談で聞いてくる社員たち

中井義貴社長

――その当時、社員の方々はどんな様子でしたか?

経営状況が厳しかったので、社員も元気がありませんでしたね。親会社のクイックはみんな底抜けに明るいんですが、それとはまったく対照的でした。
カラフルカンパニーに行って一番驚いたのは朝礼です。当時カラフルカンパニーでは朝礼は月1回しかなくて、しかも前に出ている人たちが決まったことや仕事の進捗状況を伝達するだけの場でした。他の人たちは椅子に座ってそれを黙って聞いているだけで、なんのリアクションも示さないんです。しゃべってはダメ、笑ってもダメ、みたいな空気が漂っている、本当にくらーい会社でしたね。

――厳しい経営状況、事業価値の棄損、元気のない社員など、カラフルカンパニーが抱える問題を解決するためにまずどんなことに取り組まれたのでしょうか?

最初に個人面談を行いました。一人ひとりが何を考えているのかということと、それぞれのパーソナリティーを確認したかったので、1~2カ月かけて当時133人いた従業員(パート・アルバイト含む)全員と面談しました。

中井義貴社長

――面談してみていかがでしたか?

正直、途中でやめたくなりましたね(笑)。
面談では「今どんな仕事をしているのか」はもちろん、「なぜカラフルカンパニーに入ったのか」「今は何が楽しいのか」「どんな問題を抱えているのか」「仕事で成長できているか」「将来はどうなりたいか」などの話を根ほり葉ほり聞いていったんですが、まず会話が全く弾まない(笑)。色々角度を変えてこちらから質問を投げかけると、(なんでそんなことを社長に話す必要があるんだろう…?)と疑問に思っているのが、会話の中から見え隠れするんです。

「会社で今後どうしていきたいか、君の意志を聞きたいんだ。そのためにはパーソナリティも含めて理解したいんだよ」といくら説明しても、相手から返ってくるのは「私の仕事はこれですよね。これをやればいいんですよね。」という言葉ばかり。みんな自分に与えられている枠を確認することには熱心だけれども、それ以上は興味も関心もないという感じでした。
もともと、上司からの命令を忠実に遂行する人が評価される組織だったので、従業員は皆(上から言われたことをオペレーションしていればいいんだ。自分の意見なんて必要ないんだ)と考えていたんだと思います。当然、自立的・自発的に事業に関わっている従業員は当時のカラフルカンパニーにはほとんどいませんでした。

中井義貴社長

――面談のほかにはどんなことをされたのでしょうか?

自分たちの事業に関する理解レベルがあまりにも低かったので、それを引き上げるためにマネジャークラス以上を対象に各媒体の売上・利益・顧客層のここ5年間の変遷、今の状況、損益分岐点などの情報を伝え、現状を正しく認識してもらう場を作りました。営業でいえば、もともと売上数字だけで管理されていたので、どんなに値引きをしても売上目標さえ達成すればいい、という考え方の社員が結構多かったんです。これは会社の収益構造に関わる部分なので、私自身がかなり力を入れてやりました。
それから、着任後半年が経過した2011年10月に大々的な組織変更を行い、編集長制度などを立ち上げて、営業主導ではなく、制作が自分たちの意志で情報誌をつくる体制を整えたりもしました。

仕事の「やり方」ではなく、一人ひとりの「あり方」を変える場活堂の活性化プログラム

中井義貴社長

――カラフルカンパニーを変えるために場活堂の活性化プログラムを導入しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

実は以前、カラフルカンパニーの優秀な若手3~4人を選抜してクイックに営業出向させて、2年間鍛えてもらったことがあるんです。彼らはクイックで多くのことを学び営業スキルを高めて、やる気満々でカラフルカンパニーに帰ってきたんですが、しばらくたつとみんな全くやる気のない状態になっていました。
なぜかというと、彼らが日々営業活動をしながら顧客から受けた要望や自分で考えたことを上司に提案すると「何熱くなってるの? 余計なこと言ってないで、さっさと広告とってこいよ」と言われてそれでおしまい、みたいなことが起こっていたからなんです。要するにマネジャーたちが活発なコミュニケーションを要求する風土が全くなかったので、思いがあってスキルも身に付けた彼らがつぶされてしまったんですね。それで、まずはカラフルカンパニーの組織風土を変えていく方が大事なのではないかと考えはじめました。

そこでクイック時代の部下で、教育研修事業を担当している人間に相談したところ、「それはテクニックやスキルなどの『やり方』の問題ではなく、組織や仕事に対する心の持ち方、つまり『あり方』を変えるべきなのではないか」という話が出まして、場活堂さんの活性化プログラムを紹介されたんです。
説明を聞いてすぐに(面白そうだな)とは思ったんですが、実際どんなことをやるのかを自分も理解したいと思って、場活堂さんの「一期一会セミナー」に参加させてもらいました。その時、心から(参加している人はみんな本当に楽しそうだなぁ。カラフルカンパニーの従業員がこんな風に楽しく働けたらいいな)と感じました。それで、場活堂さんに組織活性化の御支援をいただくことを決めたんです。

――導入を決める時は他社との比較はされなかったんですか?

していません。
クイックにいた頃に教育研修事業を立ち上げていましたので研修会社さんはたくさん存じ上げていましたが、研修して教えるだけでなく、社員の自発性を引き出して活性化する仕掛けを実際の組織に組み込んでいく、体系だったプログラムをもっている会社は他にはありませんでしたから。

若手メンバーを中心とした活性化プロジェクトチームが発足

中井義貴社長

――活性化プログラム導入後は、実際にどんなことが行われたのでしょうか?

まず「活性化プロジェクト」の推進役となる若手社員13名を私が選出し、彼らを対象に3回の集合研修を場活堂さんに行っていただきました。また若手のプロジェクトメンバーを支援してもらうために、マネジャー以上の役職者にも集合研修やランチミーティングに時々参加してもらいました。
集合研修が終わった後は、プロジェクトメンバーが発案した社内活性化のための取り組みを各部署で展開したり、創業以来初となる社員総会の実施に向けてプロジェクトメンバーたちがイベントの企画を考えて準備したり、カラフルカンパニー社員を紹介する冊子を作ったり、映像を作ったりしました。
それと並行して、集合研修で学んだことを仕事の中にも取り入れ、実践する機会を私の方で作っていきました。全体で約1年弱のプロジェクトでしたね。

――プロジェクトに参加されたメンバーは、最初どんな様子でしたか?

ほとんどは(何が始まるのかなぁ?)という感じでしたね。
初回の集合研修の時に、これからプロジェクトで取り組むことやスケジュール表などをメンバーに渡していましたが、(こんなこと私にできるんでしょうか…)と不安そうにしているのが3割ほどいましたし、中には(なんでこんなことやらなきゃいけないの?)と内心思っている人もいたのではないかと思います。

静かに、しかし確実に起こっていた変化

中井義貴社長

――活性化プロジェクトによって社内が変わったと感じたのはいつ、どんな場面でしたか?

活性化プロジェクトがスタートしてから3カ月ほどたった頃、プロジェクトメンバーと一緒に平村というところに行って囲炉裏を囲みながらいろいろなことを語り合う機会がありました。
その時「今の事業をこんな風にしていきたい」「自社ビルを建てたい」「海外にも支店を出したい」など、会社や仕事に対する思いがプロジェクトメンバーから次々と語られたんですが、それを見ていてふと(みんなカラフルカンパニーや我々がやっている事業のことを「自分ごと」として捉え始めているんだな…)と思ったのが、最初に気づいた変化かもしれません。

他にも象徴的な出来事が2つありました。

1つめは「ありがとう大賞」の授賞式です。社内活性化のために従業員がお互いを称賛する仕組みを作ろうということから、「ありがとう大賞」を設定したんです。その投票結果を本社の忘年会で発表・表彰するための段取りを活性化プロジェクトのメンバーがやってくれました。第一回の大賞に選ばれたのは本社の庶務の女性なんですが、ムービーあり、感謝の言葉ありで、本人はすごく感激していましたし、投票した人たちもとても喜んでいました。縁あって同じ会社に働くことになった人同士が互いの存在を認め合い、これまでになかった「人との強い関わり合い」を体感できるイベントになっていて、(うちの会社、いい方向に変わってきてるな)と思いましたね。

象徴的な出来事の2つめは、とても控え目だった女性社員が「ランチ部」というのを作ったことです。彼女は活性化プロジェクトのメンバーでもなかったし、私の印象では、どちらかというと自発的に組織に関わろうとはしないタイプの人だったのですが、ある時(社内活性化のために自分がやれることは何だろう?)と考えて、色んなランチを一緒に楽しむことで部門を超えて情報共有の場としたいということで「ランチ部」を立ち上げてくれたんです。これは僕の中では結構嬉しい出来事でした。大きな活動じゃないんですけど、プロジェクトメンバーでなかった社員に内的変化が起きて、それが行動に表れたわけですよね。カラフルカンパニー社員の仕事や組織に対する心の持ち方、「あり方」がいよいよ変わってきたんだなぁということを実感した出来事でした。

『金沢情報』で創刊以来のギネス記録となる売上を達成

中井義貴社長

――活性化プロジェクトの成果としては、どのようなものがありましたか?

具体的な成果としては、活性化プロジェクトが始まって2カ月程たった2012年夏に「金沢情報」で創刊以来初めての記録的な売上を達成したことですね。
社長に就任して以来、「『金沢情報』のような媒体の成長の限界は48~56ページですよ」と、ずーっとカラフルカンパニーの社員から聞かされていたんです。でも「研修でも学んだように、自分たちの限界を自分たちで決めちゃだめだよ」という話をして、『金沢情報(9月19日号)』を「大祭り号」と銘打って、それまで一度も達成したことのない高い売上目標にチャレンジすることにしました。

この時掲げた目標は80ページで広告収入が1,600万円という、当時のカラフルカンパニーにとっては途方のないものでしたが、その時の統括部長と社員一人ひとりが努力してくれた結果、見事達成することができました。
それで「勢いに乗っているうちに、もう一回ギネスに挑戦しよう!」と言って作ったのが、半年後の2013年春に出した、『金沢情報(3月6日号)』(通称:超祭り号)なんです。

この号は、もともと「96ページで1,800万」という目標を掲げてスタートしたんですが、営業の現場から「もっとやれるはずです。社長、104ページまで増やしていいですか?」という話があったんです。それを聞いた時、思わず「ホントにいけるの?」と聞き返しました。

だって、つい半年前の9月19日号で80ページ・1,600万円の目標を掲げた時には「こんなの無理です」と言ってたのと同じ社員たちですよ。驚きましたね。

結局、彼らの宣言通り、超祭り号はみんなが自分たちで工夫して努力して、104ページ・2,240万円まで売上を伸ばすことができました。これはすごい変化です。
実は9月に出した大祭り号の時は当時の統括部長が営業のお尻を相当叩いて叩いて、売上目標をなんとか達成したのですが、3月に出した超祭り号は全く違いました。求人・住宅・タウンの3部門がそれぞれ自分たちのページに責任をもち、売上数字の進捗管理もLINEなどを使って「今、何ページまで来たよ。あと何ページだから頑張ろう!」みたいなやりとりをしながら、104ページを達成していきました。この時からカラフルカンパニー本社の組織は、上から指示を待つだけではなく「自ら決めて行動し成果を出す」というフェーズに移行したように思います。

現有戦力の価値を何倍にも高める場活堂の組織活性化プログラム

中井義貴社長

――約1年にわたる活性化プロジェクトを振りかえってみて、今改めて思うのはどんなことですか?

活性化プロジェクトによって、私が当初考えていた以上の成果が得られたことは確かですね。
場活堂さんの組織活性化プログラムには、現有戦力の価値を何倍にも高める力があると思います。もっと言えば、払う総人件費は同じで、売上や利益が改善されるのが場活堂さんの活性化プロジェクトなんです。

中日ドラゴンズの監督に落合さんが就任した時、こう言いました。「うちは戦力補強はしません。現有戦力で十分優勝してみせます」。それを聞いて(そんなことできるわけないだろう)と私は思っていたんですが、宣言通り、確か監督就任1年目でドラゴンズはリーグ優勝を果たしました。

今、活性化プロジェクトを振り返ってみて、落合監督があの時おっしゃっていた言葉の本当の意味がわかったような気がします。私たちは現状の人的リソースの表面だけを見て(ここまでしか成長できないな)と考えがちなんですが、そういう組織やそこで働く個人が無意識のうちに作ってしまったフタみたいなものを取り払っていく方法がこのプログラムには埋め込まれていて、実際に組織を変化させ、成果を上げさせてしまうのだと思います。
せっかく研修を実施しても、そこで学んだことを組織に定着させるのはなかなか難しいものですが、場活堂さんのプログラムは違います。組織風土を変え、しかもその新しい組織風土は消えることなく会社の中にずっとストックされていく。こういう価値を発揮し続けてくれる研修プログラムは他になかなかないんじゃないでしょうか。